2012年11月7日水曜日

小村雪岱

 もう30年も昔になるが、病に倒れた友人の見舞いに根津を訪れたときのこと。帰り道に重病の友人を思い苦しい気持ちで歩いていたとき、古美術店の店先で目にした版画が小村雪岱だった。誘われるようにふらっと店内に入った。構図は三味線と鼓が室内に置いてある。それだけ。店主がごく自然に「この気配がいいでしょう。雨が降る前のざわっとしたような 、この感じ」と言った。お稽古の合間、ふと席を立った気配。心の中の不安を見透かされたような気持ちで、ああ、欲しい、と思った。15万円と言われたがもちろん買えなかった。


『青柳』1924年作品




それ以来、小村雪岱はもっとも好きな画家のひとりである。版画作家とか、装幀家、挿絵画家と呼ばれているが、センスの良いイラストレーターのように私には思える。色彩がものすごく良い。

雪岱の絵を見ると大川があったなら、と思わないではいられない。東銀座の金田中や新橋演舞場のあたり、首都高じゃなくて川だったらどんなに素敵だっただろう。夜になると新内流しの舟が。。。。

『河岸』1942年作品

有名なのは泉鏡花の作品の装幀で、12月に坂東玉三郎が演じる『日本橋』は大川(隅田川)岸に並ぶ蔵が江戸気分をくすぐる。初版本が欲しいが高い。

 邦枝完二の『おせん』など小説の挿絵も多く手掛けている。完二の娘に生まれ、デザイナーとなったのがクニエダヤスエさんだ。日本で一番センスがいいのもむべなるかな。

泉鏡花『日本橋』

しかしインテリア的には本より額装したい。フレームに入れて飾りたいと、少しずつ版画を買っているが一番欲しい三味線の部屋はいまも手に入っていない。

長唄を30年あまり習ったせいか、それともどこかに江戸の玄人の血がはいっているのか、花柳界に妙に反応するところがある。小説も繰り返して読むのは幸田文の『流れる』。

自分の中に眠っているものがあるのは、不思議なことである。

ホテルニューオータニ美術館で『大正・昭和のグラフィックデザイン 小村雪岱展』開催中。〜11/25
小村雪岱展

2012年9月11日火曜日

間取りって

間取りについて考えることがよくある。たとえば東京の平均的なマンションの間取り、いまの生活と合っている? どちらかというと人間が間取りに合わせて生活していないかなあ。

たとえば。

なぜバスルームは寝室からすぐのところにないのか? ←近い方が良くない?
なぜソファをテレビに向かってしか置けない壁面&窓位置? ←だれも考えてない?
なぜ狭いのにドアばっかりいっぱいあるのか? でもって引き戸でないのか? ←うーむ
なぜ居室からトイレが遠い? ←玄関開けたらすぐトイレ、とか。
なぜ洗濯物を干すのに家を横切らなければならないのか?←動線悪っ


もちろん新しい考えの物件もあるにはある。それにしても昭和の生活に合わせたかの間取りが多すぎやしないか。居住空間によってむやみに暮らしのストレスを増やされているなんて!!

ここで叫んでいても歯がゆいのぅ。


たとえば。
こんな間取りだって、あっていいんだけど。

という台湾の部屋は、壁面が収納にもなっていて、全体は緩やかにつながりながらも、それぞれの部屋は区切られている。正方形を基準としない区切り方も新しい。それだけでなく棚壁面が可動式!部屋の形まで変わる仕掛けになっている。


 Resident Tsao apartment with rotating walls by KC Studio - Dezeen

右本棚の裏側にはTVが。本棚を窓の方に動かせば一部屋のリビングダイニングに。





ただし料理のにおいが寝室に流れてくるのは気になるから、寝室は閉鎖可能で。

棚奥のブラックが引き締め効果。TV埋め込みで広さ効果。

部屋の仕切りは目線で解決出来ると思う。見渡せなければその部屋は仕切られていると感じるもの。だから必ずしも閉じられた部屋でなくても、ドアがなくても、結界は出来る。

ドアがない分、スペース的にも合理的。空調も、音もone for allで、家電が増えない合理性もあるかもしれない。


花の東京、もう少しセンスのある「お物件」が増えて欲しいなあ。